彼もまた、歴史に翻弄された被害者であった。
君らは歴史の登場人物じゃない
アントニ司教からでたこの一言は、彼のこれまでの人生、生きた基盤を全て否定したと言っても過言ではないと思われた。地動説を提唱した者たちを粛清することに人生を賭けた、でもなぜ地動説が許されざる思想なのか、なぜ神の創造を否定する思想たりうるのか、その理由も知らぬまま、罪だけ背負わされた。一方で、彼が本当に命を賭けたものを考えると、その人生はある意味歴史に必要だったものかもしれない。彼の哀しき人生に感情移入していきたい。
傭兵上がりの異端審問官
最初に述べておきたいのが、彼の傭兵時代は作中では語られない。ただ、死線をくぐり抜けてきたことだけが語られる。
傭兵にとって、その戦いの大義など知ったことではない。ただ、自分自身と自分の大切な人たちのために、目の前の敵を亡き者にする、そして人を殺めることに慣れていく。そういった彼の経験を考えると、地動説が異端とされる理由など、考える選択肢はなかったはずだ。
最愛の娘が生きる希望だった
作中で意外と多く表現されているのが、ノヴァクの娘、ヨレンタへの愛情だ。傭兵時代に子供ができることは考えづらいので、現役を引退してからできた子供であることが想像される。大義もわからず死線を潜ってきた彼にとって生きる意味となっていたことは想像に容易い。そして、オグジーやバデーニが異端であるとして彼らの住まいに向かう様子や、死の間際に娘の手袋を抱い娘の救済を懇願する姿からも、深い愛情が感じられる。娘が生きる世界が安全であるように、そう思って異端審問官を務めながら、彼女が異端として処刑されたことを知る。死してから酒に飲んだくれているのも納得できる。
なぜこの部分だけ非常に細かく、行動心理が読み取れるようになっているのか。序盤ではノヴァクは邪悪な存在として描かれ、段々と共感できる心理描写が増えていき、最後にはただ時代に翻弄された1人の元傭兵として退場する。
「命をかけられるものがある人生は幸せだ」というテーマ
作者である魚豊さんは、この作品に限らず、「命をかけられるものがある人生は幸せだ」というテーマを描きたいとインタビューで語っている。ノヴァクもまた、命をかけられるものがあったと言えるのではないか。他の登場人物たちが地動説という世界の真理のバトンを受け渡すストーリーでありながら、ただ1人、最愛の娘のために自身の命や死後の運命を賭けて死んでいく、彼の人生は幸せだったと思う。

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